たまにはドイツ人のように、犬とともにトレッキングに出掛けてみよう。それも整備された公園や遊歩道ではなく、バックカントリーと呼ばれる自然のままの野山へである。そして、 定点で遊ぶのではなく、トレイルという山の小道を犬と一緒に辿ってみよう。ピートは、このよう な自然のトレイルで、どのように反応し、どう行動するのだろうか。
(眼下に清里を望む峠道で被写体になるピート)
さて、自然のままのトレイルを辿る時、ピートは必ず私達より10mほど先を行く。そして、 あらゆる感覚を研ぎ澄ませ、自然の状況を敏感にキャッチしながら歩く。天候、地形、風、 音、匂いを嗅ぎ分け、安全を確かめながら、飼い主ではなく、自分の判断で先へ進もうとする。そこが、日常の散歩とは決定的に違う行動だ。ピートは、人間の拘束から解放され、思う存分自由を堪能し、自然を満喫しながら歩くのである。
(トレッキングの先頭を務めるピート。残雪の北八ヶ岳トレイルにて)
ピートにとって、自身で行動を決定できることは、何よりも解放的で楽しいことと思えるが、 トレイルの分岐点では何故か立止まり、私達に判断を仰ぐ。これは、先頭を歩いていても、自分をリーダーだと思っていないのだと理解できる。歩く自由は得ても、どのように行動するかは、リーダーとしての私達にその判断を託しているのである。ピートは、自分で行動の裁量範囲を定めているからこそ、後はリーダーに従おうとするのであろう。差し詰め親の手を引張って、遊園地のゲートへ急ぐ子供の心境なのだろう。
(小川に架かった丸木橋を慎重に渡るピート)
来た道を戻り始めると、ピートは人間の子供と何ら変わらぬ行動を取り始める。ノーリードにも関わらず、私達の後をテクテクと歩く。帰り道のピートは、つまらぬ顔をしているし、疲れも出ているようだ。これは、トレッキングの楽しみを終え、帰路に就くという行動を認識しているのだろう。ピートは、自然の中の随所で、人間と変わらぬ思考をしているように思えてならないのである。
(トレイルの終点より八ヶ岳を遠望する)
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