2011年2月9日水曜日

(12) 犬と日本の生活様式

ピートがやって来た時、我が家の生活様式は、和式と洋式のごちゃ混ぜ状態であった。住居は洋風だが、中身の生活様式は日本のそれである。例え部屋が床張りであっても、生活用品は和式の部屋と同じように低いところへ置いていた。その低い位置の用品は、全てピートの格好の遊び道具となった。

(パピー時代のピート: この後、我が家へやって来ることになる)

そして、ピートが遊び回る床は、光沢も無くなり傷も付いた。外飼いの日本犬のイメージのまま受け入れたものだから、それはもう大変な状況に陥った。覚悟はしていたが、これが室内飼いというものかと、つくづく思ったものである。だがピートは、外飼いでは見ることのできない気質や面白い行動を示してくれ、本当に犬を理解するなら、室内飼いに限るのではないかと思った次第である。

(カナダ産ヒッカーソーの無垢の床: 西洋人はこの上を革靴で歩くのだが)

西洋風の犬の飼い方をするには、生活様式も西洋風に替えねばならない。家具や生活道具は、椅子で生活する高さに揃えるのが望ましいし、更に土足様式の生活にするなら申し分ない体制と言える。
しかし、我が家の生活様式は、今もって和洋折衷のままである。ピートにして見れば、遊び道具が一杯あって、むしろその方が面白いのかも知れない。


日本の犬の飼い方は基本的に外飼いであり、洋犬は室内飼いであると思える。これが如何なる文化的理由に基づいているのかを、理路整然と解説した書物に出会ったことはないが、恐らく日本の床上生活様式と西洋の土足生活様式の違いから来ていると考えるのが普通であろう。だが、この生活様式の違いだけが、果たして室内・外という犬の飼い方にまで影響を及ぼしているのであろうか。
 
実際にピートと暮らして見ると、日本の外飼いの理由が、生活を家畜と共には出来ない、という特有の考え方にあると思えてくる。それは、日本人の根源的な宗教観に基づいていると考えるのだが・・・。
この件に関しては、ピートのリンク’ピートとパパの会話 その105 禅問答’にて、かなり乱暴な表現ではあるが、その観念的な考え方の考察を試みた。因みに猫は家畜と看做されていないので、日本家屋と言えども、土足での出入りが自由で、昔から室内飼いをされてきた。然るに猫の存在は、この観念的禅問答を補完する個体的実存と言えなくはない。
 
日本での室内飼いは、犬に対する家畜や畜生という観念が薄れてきて初めて、次第に許容されるようになってきたと思われる。つまりは日本の犬・畜生という考え方は、事物の本質を指し示しているのではなく、後から人間が付け加えた観念に過ぎないと考えられる。それが、取りも直さず犬の飼い方の違いとなって現れているのではないかと・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿